自分の価値観って、他人のそれと比べて『私は違うな』って感じた時に初めて意識できるのかもしれないと思った話です。
先日わたしが尊敬する女性とお会いした時に、恐れ多くもこんなことを言われました。
『今日はいとうさんと会うのが楽しみだったから、朝は楽しちゃった。』
だいたいこんな感じだったと思います。
その方、素敵なお母さんでもありまして、普段はきっと2人の子供さん(ともしかしたら旦那さん)のためにお弁当を作っていらっしゃるんですね。
でもその日は、お昼は各自で買ってもらうことにしたそうです。
今日は楽しみがあるからエネルギーはそこに注ぎたい、だから朝は勘弁してね、というようなことを仰っていたような違うような、、、あまりに自分が思わないことだったのですっかり忘れてしまいましたが、とにかく朝はエネルギーを温存したい、そして確認したところ、夕飯は頑張るということでした。
わたしは楽しみがあると、朝から張り切ります。
楽しみに向かうエネルギーで、普段より動きたい派です。
まぁお弁当を作る必要は元々ないですが、掃除をいつもより張り切ってみたりします。
あと常備菜を作ってみたり。
そして、楽しみの後はその余韻を楽しみたい、つまり、少しでも楽をしたい。
まぁ私が何もしなかったところで、誰も困らないのですが。
これって親の影響だろうなと思うのですが、わたしはつい先日まで、楽しみの前は張り切って、楽しみの後はだらけるのが当たり前だと思っていました。
思っていたことにすら気づいたのはつい先日で、楽しみの前は皆が張り切っているものと信じていました。そんなわけないのに。
ですので整体を受けて頂いた後で、楽になったから張り切って夕飯作るぞー!なんて言われると、ひれ伏したい気分になっていました。
嫌々何かをしようとしている人には何とも思わないのですが、軽い感じでさぁやるぞなんて言われると、あぁーーーわたしはこのタイミングはお休みさせて頂きますって、ちょっとした敗北感を味わっていたのだと思います。
いつ張り切っていつ張り切らないか、そんなことは完全に個人の自由で、わたしがひれ伏す必要なんて無いんだということに気づけて、ひとつ楽になりました。
些細なことを長々としつこいようですが、
楽しみの後で楽したい派のわたしは、楽しんできたから頑張らなければなんて思考が頭を過っただけで、もう辛くなります。
そして、楽しみの前に張り切っているのは、すごく楽しい。
そういえば、楽しかった勢いで何を作ろうかな、なんてこともあったかもしれません。
きっと、楽しみの前も後も張り切って動きたい人もいれば、楽しみのためにエネルギーを温存して余韻も楽しむという人もいるのでしょう。
すごく当たり前のことですが、色々な人がいていいなぁと思いました。
わたしと同じく余韻を楽しみたい派の方、ご安心ください。
近所にはスーパーマルイさんと、そのお向かいにお惣菜屋さんもございます。
お惣菜屋さんは入口が“ほんま鮮魚店”となっていますが、正式名称は“天ふじ”さんです。
ゼンマイとか昆布を炊いたのとか、かきあえなますとか、特に副菜は種類が多くてずっと悩んでいられます。
店主さんは1日中仕込みを続ける職人さんですが、温かい人柄が滲み出ていて、異様に悩み続ける私に困惑もせず、決まったらいつでも声かけてくださいと放置もしてくれました。
迷ってすぐに決められなくても、慌てなくて大丈夫ですよ。
いつもと違うお惣菜が欲しいときは是非ご利用ください。
いとう整体のチラシを置かせて頂いているのですが、そうでなくても、お勧めです。